憧れとマキシマム ザ ホルモン

例えば君がロックンロールスターに憧れていたとして、プロ野球選手に憧れていたとして、画家に、俳優に、アイドルに、憧れていたとして、そうなれなかった時。『何者にもなれなかった』時。俺たちはそれを忘れる事でしか報われないのだろうか。


そんな事はない。そうロッキンジャパンフェスは、いや、マキシマム ザ ホルモンは昨日俺に教えてくれた。


これはそんな俺の気持ちをいつか誰かに伝えるための、ロッキンジャパン2019の感想を書きたかったのに、どうしてもホルモンの事しか書けなかった俺の、少し長いチラシの裏書きだ。


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5月某日、俺はどうしても見たい2グループが同時に参加するサマーソニック2019の2日目チケットの先着購入合戦へ参戦していた。これまで例の無い売れ行きだったらしく、発売時刻と同時に開いたローチケは無情にも505を返し、俺は農民上がりの足軽の如く、その合戦で無残に散った。そして瞬殺された農民が、半ばヤケクソに申し込んだのはロッキンジャパンフェス2019の先行だった。

すでにほとんどの参加アーティストが出揃っていた、そのフェスには見たかった2グループの片方、『マキシマム ザ ホルモン』がいた。


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ホルモンに出会ったのは高校生の夏。友人のバンドマンから借りたロッキンポ殺しに衝撃を受けた。

独特のイントロに惹かれた心が、強烈なデスボイスでぶん殴られる。訳も分からないまま繰り出されるジャブにクラクラになっていく頭、そこへカッチョいいボーカルのサビが突き刺さり10代の俺はあっという間にホルモンの虜になった。

10代の頃は、自分と自分の気持ちの全てが世界で、そこに度々現れる外の世界からの衝撃達は、自分の世界と地続きになった未来の自分の姿でもあった。

ホルモンのロッキンポ殺しもそんな10代の自分へ突き刺さり、まだ憧れを両手いっぱいに抱えるだけの余裕があった『俺』を形成する一部となっていった。


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さて、ここで一つ補足しておかなければならない事がある。憧れと夢の違いだ。

ここで言う『憧れ』とは『夢』ほど意思が硬いものではなく、吹けば飛ぶような思春期の男子が多かれ少なかれ抱く『アレ』である。

『憧れ』と『夢』の違いは瞬発力と筋力で、憧れの瞬発力は大きく、例えばエレキギターを買ったり、自己啓発本を買ったり、とりあえず手をつけるとことは憧れのパワーで充分いける。ただ、そこから実現への階段を上る筋力があるかどうかが夢と憧れの差で…俺はその筋力があまりない方だったのだと思う。


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さて、ホルモンの思い出語りはもう少し続く。

2006年、俺は『その』憧れをたっぷり抱えて上京していた。

ただ根のない憧れは容易く枯れ、俺はなんとなく酒を飲み、なんとなく授業に出るなんとなくの生活を送っていた。

そんな自堕落な大学一年生の秋、近場の専門学校の学祭ライブにホルモンが登場すると言う話を聞いた。

『あのホルモンが見れる!』

その瞬間俺の心の中にいた憧れが強く揺さぶられた。


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外の世界に触れるにつれて、憧れや夢はよく裏切られていく。

自分の中で醸成したものと現実を比較するのだから、それはあっても仕方のない事だし、なんならよくある話だ。


だが、ホルモンのライブにそんな裏切りは一切無かった。

当時読んだ今日の亮君に『ライブはぶつけ合いだ!』みたいな事が書いてあって、俺はその言葉を信じてライブへ行き、そして、ホルモンは想像以上にぶちかましてくれた。

あの日のライブが始まるまでの緊張も、ライブが始まってからの衝撃も、ライブが終わった後の気持ちも、13年経った今でも、ありありと思い出せる。

あの日、俺の中で作られた10代の『憧れ』は外の世界の『衝撃』と確かに地続きになり、その憧れは、夢とも違う俺の一部になった。


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その衝撃から3年後、俺はある種の絶望の中にいた。

社会へと押し出されるタイムリミットになり、自分はどの憧れにもたどり着けない、何者でも無い自分だったのだと気付かされ、何者でもない自分としてのスタートラインに立とうとしていた。

金もなく、志もなく、憧れも夢も枯れ、望みが絶えても、時間は容赦なく俺を外の世界へと押し出していった。


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それから10年。

守るべきものが出来て、自分の世界は自分だけのものではなくなった。それは決して悪い事ではなく、それはそれでもちろん幸せな事ではあったけれど、 そこにはやはり10代の頃の『憧れ』の姿は無く、あの日地続きに思えた『衝撃』も思い出になり、人生の背景になり、あの頃描いた、憧れた未来とは全く別の、世界に来て、明日からも別の世界を生きていくのだと、昨日までは、そう思っていた。


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8月11日、天気は曇り。


午前2時にアラームで目を覚まし、ひたちなか市を目指す。昨日までとは比較にならない過ごしやすさの中、1日が始まった。


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朝のDJからはしゃぎ、夜の本気ダンスを楽しんでいたが、普段全く鍛えられていない身体は初めての夏フェスで簡単に悲鳴をあげ、KEYTALKのサビでジャンプした瞬間に1回目のこむら返りを起こした。


ただ、今日は夏フェス、13年ぶりのホルモン、溢れ出るアドレナリンは簡単にその痛みを帳消にした。


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Alexandrosのボーカルがギターを天に掲げている。ロックンロールスターは最高にかっこいい。

ボルテージが上がっていく会場、ワタリドリの合唱を後に、彼らが去り、そして、あの緊張と静寂の後、その時が来た。


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変わらずにいる事がどれだけ難しいか。

続ける事がどれだけ難しいか。

ホルモンのライブ活動休止、maximum the hormone IIの発表、そして2号店オーディションまでの流れは、それらに対してのホルモンの強い意思を感じたし、それに対して『俺』はどうなのか?と強く考えさせられた。


13年ぶりに俺の目の前に姿を現したマキシマム ザ ホルモンは、俺と同じ時を経て相応に見た目は変わっていた。


だが、そこにあった熱量は。その身体からぶちかまされる音楽は。そのほとばしるオーラは、あの13年前のライブと全く変わらず、そこにいた。

そして、その姿を見た瞬間、そこには10代の憧れを携えた、あの頃の俺もいたのだ。


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どこかで道を分かち、離れたと思っていた。

あの日地続きになったと思えた『憧れ』はもう二度と会う事は無い、別の世界になってしまったと思っていたのに、マキシマム ザ ホルモンのライブは、『そんな事はねぇんだ』と、あの日から今日まではちゃんと続いていて、あの日憧れてた10代のお前は死んでなんていないんだと、俺を再びぶっ生き返してくれたのだ。


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45分間のライブはあっという間に終わってしまった。

13年前のライブと同じで、Tシャツは雨に降られたかのようにびしょ濡れだった。

去っていくホルモンに、俺は心からありがとうと叫んでいた。この世界にマキシマム ザ ホルモンがいてくれた事、同じ時を過ごせる事にただ、ただ、感謝が溢れて止まらなかった。

亮君が言っていたロックで人を殺せる、ロックで人を生き返らせられる、と言う事がこの歳になって初めて理解できた瞬間だった。

本当に大袈裟かもしれないけど、生きている事への感謝があふれて止まらなかった。


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そして1日が経った。

全身がバキバキで2階への階段すらままならない状態だ。

確か10代のライブでは結局丸々1日寝てたと思うのだけど、今はそうもいかない。

義母に預けた子供達を迎えに行き、そしてまた明後日からは仕事の日々だ。


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10代の頃描いた未来と比べて、毎日は結構つらいし、かなりしんどい事も多い。

でも、昨日のライブで、世界が完全に自分のもので、無敵だったあの頃と今の自分はちゃんと繋がっているという事、そしてあの最強のバンド『マキシマム ザ ホルモン』と俺は同じ世界に生きていてちゃんと繋がっていると確信できたから、何があってもコッテリ死ぬまで生きていける。


マキシマム ザ ホルモンに出会えた人生に感謝をこめて

700円で満たされる人生

昼。

11時半、これからピークを迎えるであろううどん屋で早めの昼食を取る。

 

かけうどんへ『かけつゆ』を注ぐタイプの店で、俺はなんの疑いもなく『天つゆ』を波々と注いでいた。妻がそれに気づき、驚きの声を上げ、半笑いで店員に天つゆを流してもらうように頼んでくれた。

初老の店員から『こちらがかけつゆですからね!』と、まるで中年男性に対して念をおすように、強めの口調で注意され、恥ずかしさとか色々な感情を持ち帰りながら、少し味の濃くなってしまったかけうどんをすする。意外と味は悪くなかった。

 

 

妻が買い物をしている間に、同じショッピングセンターにあるハードオフへ行った。

無邪気な子どもたちは、ジャンクの双眼鏡で長過ぎる通路でゴミ漁りをする大人たちを眺め、はしゃいでいる。

 

俺は買い取りたてのコーナーで300円のウーハーを見つけた。

すぐ横に同じ型番で300円のステレオスピーカーも置いてあった。

100円のミニケーブルと合わせて、トータル700円の2.1chウーハーを、手を埃だらけにしながら購入した。

 

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夕方。

初めてレバニラ炒めを作った。

参考にしたレシピは丁寧にレバーの血抜きの工程まで書いてあったが、全体の折返しあたりで、肉の切るサイズが無いことに気づく。

注文主に、肉のサイズはどれくらいがよいのか聞いてみる。回答はいつもどおり『いい感じで』だ。

 

切った肉を氷水につけていると、注文主が肉が小さいと言ってきた。

非可逆となってしまった現実に対して、投げかけられる不満に、俺はまたつまらない言い訳を返してしまう。

最終的に味はうまくまとまり、注文主は上機嫌でそれを平らげていた。

 

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夜。

泣きながら駄々をこねる息子に対して、手を上げてしまった。

そこから畳み掛ける様に理屈をぶつけ、息子はすすり泣きながら布団へ潜って行った。

 

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妻が息子に優しい言葉をかけている。

手と心には嫌な感覚がじんわりと残っている。

昼削られた安っぽい自尊心を、その瞬間だけ満たしたのではないか。という本当は大した理由も無いはずの、自分の衝動を振り返る、感情の徒労を何周も繰り返している。

 

700円で購入したウーハーはミニプラグが短く、コンセントも足りなくて、いまいち置き場所に困ってしまった。

俺は思い立って部屋の模様替えを21時も過ぎたというのに始める。

小一時間経って出来上がった新たな間取りで鳴らしたウーハーの音は、その瞬間だけ俺のもやもやとした気持ちを洗い流していった。

 

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所詮、たった700円のウーハーで満たされる感情なのだ。

それなのに、この瞬間がすべてである、彼らに衝動をぶつけていいはずがない。

そんな事は、いつも、いつも、振り返るたびに、毎回の後悔と一緒に、思っているはずなのに、安っぽい自尊心と、薄っぺらな自信の中のモラルが感情をすぐに引き上げてしまう。

 

俺の人生は所詮700円で満たされる人生なのだ。

そんな俺が、誰かを傷つけてまで、何かを語れるはずがないのに、偉ぶってしまう。

 

所詮700円、だが700円。

700円で満たされる人生だが、結局俺は俺を見捨てる事ができない。

 

 

ウーハーから流れ出るにぶい低音が、俺を覆っている。

この世界には地獄しかない

2年前に辞めた会社の上司と後輩と飲んだ。なんでこんな席が設けられたかというと、古巣が吸収合併されるのだそうだ。

上司も後輩もそんなそぶりは出さず、2年ぶりに会う僕と話を合わせて、今の御社の状況をやんわりと教えてくれた。

 


僕は前の会社には感謝している。

確かに残業代も支払れなかったし、無茶な案件も多かったが、直属の上司だけでなく、社長まで優秀な新人を育てて会社の未来を託そうという気概があった。

そんな環境で僕は今思えばかなり好き勝手やらせてもらえたし、そのおかげで溜まったスキルは今にもつながっていると実感がある。

でも、そんな会社でもそういう体制をよく思わなかったり、出てくる数字が芳しくないことも多々ある。そんなときに僕の上司は時に激しく、時にやんわりとうまいこと僕を自由にしてくれていた。今になってそれがわかる。

 


そのおかげで、今の僕があって、零細企業である今の会社で、ある程度幹部に信用をおかれて仕事ができていることは、これまでの失敗を許してくれたかつてよ上司のおかげだと思っている。

 


さて、僕が去った会社の話である。

恩ある上司も、投げやりな意思を継いでくれた後輩も、新たなルールの中に身を置かれるのだ。

正直言って僕等がいた部署は特殊だった。今にして思えば金をもらって日々社会勉強をさせてもらっていたようなものだ。

 


ここで育った僕等は程度の大小はあれ、どこかしらで生きていけるようには思える。ただ、僕を育ててくれた上司が今後どうなって行くかを考えると不安でしかない。

 


作る人が消え、買う人が消え、この国が収縮して行くことはもう避けられない未来だ。そんな中で僕が大切に思う人たちが、どれだけ幸せに生きていけるのか。

いらない心配を常に抱きながら、僕は今日もアルコールでふらついた視線の先にこのスマートフォンを眺めているが、ふとブログの記事が目につく。

 

側から見たら明らかにブラックな会社で勤めるあの人が、新たに努めた会社で無理難題に襲われる内容だ。

読む

 

ああ、思う。

 

この世は働く限り地獄なのだと。

 

生き、生き延びることは地獄なのだと、地の果てで思うのであった。