700円で満たされる人生

昼。

11時半、これからピークを迎えるであろううどん屋で早めの昼食を取る。

 

かけうどんへ『かけつゆ』を注ぐタイプの店で、俺はなんの疑いもなく『天つゆ』を波々と注いでいた。妻がそれに気づき、驚きの声を上げ、半笑いで店員に天つゆを流してもらうように頼んでくれた。

初老の店員から『こちらがかけつゆですからね!』と、まるで中年男性に対して念をおすように、強めの口調で注意され、恥ずかしさとか色々な感情を持ち帰りながら、少し味の濃くなってしまったかけうどんをすする。意外と味は悪くなかった。

 

 

妻が買い物をしている間に、同じショッピングセンターにあるハードオフへ行った。

無邪気な子どもたちは、ジャンクの双眼鏡で長過ぎる通路でゴミ漁りをする大人たちを眺め、はしゃいでいる。

 

俺は買い取りたてのコーナーで300円のウーハーを見つけた。

すぐ横に同じ型番で300円のステレオスピーカーも置いてあった。

100円のミニケーブルと合わせて、トータル700円の2.1chウーハーを、手を埃だらけにしながら購入した。

 

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夕方。

初めてレバニラ炒めを作った。

参考にしたレシピは丁寧にレバーの血抜きの工程まで書いてあったが、全体の折返しあたりで、肉の切るサイズが無いことに気づく。

注文主に、肉のサイズはどれくらいがよいのか聞いてみる。回答はいつもどおり『いい感じで』だ。

 

切った肉を氷水につけていると、注文主が肉が小さいと言ってきた。

非可逆となってしまった現実に対して、投げかけられる不満に、俺はまたつまらない言い訳を返してしまう。

最終的に味はうまくまとまり、注文主は上機嫌でそれを平らげていた。

 

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夜。

泣きながら駄々をこねる息子に対して、手を上げてしまった。

そこから畳み掛ける様に理屈をぶつけ、息子はすすり泣きながら布団へ潜って行った。

 

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妻が息子に優しい言葉をかけている。

手と心には嫌な感覚がじんわりと残っている。

昼削られた安っぽい自尊心を、その瞬間だけ満たしたのではないか。という本当は大した理由も無いはずの、自分の衝動を振り返る、感情の徒労を何周も繰り返している。

 

700円で購入したウーハーはミニプラグが短く、コンセントも足りなくて、いまいち置き場所に困ってしまった。

俺は思い立って部屋の模様替えを21時も過ぎたというのに始める。

小一時間経って出来上がった新たな間取りで鳴らしたウーハーの音は、その瞬間だけ俺のもやもやとした気持ちを洗い流していった。

 

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所詮、たった700円のウーハーで満たされる感情なのだ。

それなのに、この瞬間がすべてである、彼らに衝動をぶつけていいはずがない。

そんな事は、いつも、いつも、振り返るたびに、毎回の後悔と一緒に、思っているはずなのに、安っぽい自尊心と、薄っぺらな自信の中のモラルが感情をすぐに引き上げてしまう。

 

俺の人生は所詮700円で満たされる人生なのだ。

そんな俺が、誰かを傷つけてまで、何かを語れるはずがないのに、偉ぶってしまう。

 

所詮700円、だが700円。

700円で満たされる人生だが、結局俺は俺を見捨てる事ができない。

 

 

ウーハーから流れ出るにぶい低音が、俺を覆っている。